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石川啄木『啄木といふ奴 -A GUY CALLED TAKUBOKU-』台本構成:音楽 喜多直毅
坂口安吾『桜の森の満開の下』『夜長姫と耳男』
永井荷風『濹東綺譚 ~玉ノ井夜想 大江匡とお雪~』
『雪解』『風邪ごゝち』『春雨の夜』『にぎり飯』『寺じまの記』『葛飾土産』
〜あめりか物語より『おち葉』〜『勲章』『吾妻橋』
『珊瑚集』仏欄西近代抒情詩選 (ポール・ヴェルレーヌ/永井荷風訳)
『ぴあの・ましろの月・道行・夜の小鳥・暖き火のほとり・返らぬむかし・偶成』
『落葉』ポール・ヴェルレーヌ(堀口大学・金子光晴・窪田般彌・橋本一明・上田敏)
朗読と『シャコンヌ』(J.S.バッハ)の演奏
泉鏡花『高野聖』
紫式部『葵』源氏物語
岸田國士『モノロヲグ』
太宰治『人間失格〜道化と狂気のモノロギスト〜』
小川未明『港に着いた黒んぼ』
岡本かの子 『鮨』小泉八雲『耳なし芳一』
幸田文『おとうと』
=オスカー・ワイルド作品=
『幸福の王子』『わがままな大男』
『ナイチンゲールと紅いバラ』
『啄木といふ奴』
A GUY CALLED TAKUBOKU
石川啄木 /台本構成・音楽 喜多直毅
尖りながら、傷付きながら生きてゆく… 三行に込められた青春と恋、挫折、悲しみ。
朗読とヴァイオリンで描く石川啄木の世界。
『啄木という奴』
・2019.4.14(日)喫茶茶会記(四谷三丁目)公演フライヤーより・
子供時代、神童と呼ばれ、己の才を信じながらも挫折に満ちた人生を歩んだ石川啄木。
しかしその短い一生の間に詠まれた歌の数々は才気とインスピレーションに溢れ、今尚読む人々に鮮烈な印象と感動を与える。
恋慕、憧れ、望郷、病、そして生きる哀しみを情感豊かに歌う一方、感傷から身を置き、ナイフのごとく社会や人間存在に鋭く切り込む短歌も豊富である。
日常の“点”の様な風景や心理、記憶、想像の世界…、これらをたった三行の三十一文字で表現し、読み手のイマジネーションに強い翼を与える彼はやはり天才と呼ぶに相応しい。
今回は彼の短歌の数々を朗読するが、それぞれの短歌の持つ意味ばかりではなく、一首と一首の“間”に広がるものにも心を向けたい。また女声によって朗読される時、彼の短歌の質に何らかの変化が起こるはずである。
まるで啄木の人生に登場した女性達が、彼の俳句を声で辿る。
これにより啄木の作品に別な角度から光をあて、別な魅力を引き出すことが出来るのではないかと思う。
啄木作品とヴァイオリンのコラボレーションは非常に珍しいが、啄木が肌で感じた風や雨、芸者小奴の肌の温み、脳裏に浮かぶ故郷の山や川、また挫折によって味わった苦さまで、五感に基づいた音楽づくりを行いたい。
『高野聖』 Japanese Gothic Tales
泉鏡花 /Kyoka Izumi
「ちらちらと雪の降るなかを次第に高く坂道を上る聖の姿、あたかも雲に駕して行くように見えたのである」
「どこぞで白桃の花が流れるのをご覧になったら、私の体が谷川に沈んで、ちぎれちぎれになったことと思え、」
<あらすじ>
旅の途中『私』は高野山に籍を置く『旅僧』と出会った。『私』は旅の同宿で夜話に『旅僧』が飛騨山越えの時に経験した不思議な体験話を聞く。飛騨から信州へと向かう途中『旅僧』は偶然出会った『富山薬売り』が、新道と旧道の分かれ道で危険が潜むと聞く旧道をえらび先にいってしまい、それを知らせる為に自分もその旧道へ向かった。『旅僧』は身を襲う大蛇と山蛭の雨が降る山路を抜けて、やっと山奥の孤家にたどり着く。そこには妖艶な『女』と病気で口のきけない『少年』が住んでいた。『女』にはある秘密があり、そこで『旅僧』は奇妙な一夜を過ごした。/魔界と現実とが交差する、泉鏡花、28才出世作。1900年(明治33年)2月1日初出。
<泉鏡花>
泉鏡花は美しい文体で多くの幻想的名作を生み出した。小説、戯曲、俳句。金沢出身、明治後期から昭和初期に活躍した人気作家。『高野聖』『夜叉ヶ池』『海神別荘』他。
『葵』 Aoi (The Tale of Genji)
紫式部 /Murasaki -shikibu
<あらすじ>
正妻の葵の上が懐妊。愛人の六条御息所は、冷たい光源氏に対する想いを断ち切れずにいた。
”車争い”という事件をきっかけに、六条御息所のこれまで抑えていた嫉妬心や悔しさが一気に恨みへと変わり、自覚のないまま、生霊となってしまう。そしてこの生霊に取り憑かれた葵上は、呪いに苦しめられ、源氏の息子の夕霧を産むも、その後間も無く、命を落とす。年月をかけてやっと心を深く結んだ、妻 ”葵上” の死に、大きく落胆する源氏。
教養深く豊かな才能と美しさを持つ御息所へも、もののけの姿をみた今では、とても愛は傾けられない。源氏は一心に、美しき我が息子夕霧へ愛を傾けた。
『モノロヲグ』 Monologue
岸田國士 /Kunio Kishida
<あらすじ>
看護師の女性と、担当患者であった男性との物語。恋愛には目もくれず、仕事一筋に打ち込む彼女は、ある日、同僚に押しつけられる形で海外から来たある患者の担当となった。言葉も通じず病気に苦しむ患者、さぞ心細いことだろうと、彼女は仕事として親身になり世話をした。そのうちに二人には特別な感情が生まれた。彼女にとっては2度と開くべきではない、心の扉だったのだが。
<本文より>
曇った日の午後四時過ぎ。廊下で、バタバタと足音がする。障子があく。女が現はれる。派手なセル。流行遅れのショール。汚れた足袋。部屋ぢうをひと通り見廻した後、彼女は呟く。ーーほんとだ。…やっぱしほんとだわ…。部屋の中を、あつちこつち歩きまはる。寝台に腰をおろす。ーー何処かへ越したんなら、この道具だって持ってく筈だわ……。だつて、これみんな、要るものばかりぢやないの、お神さんが、いくらで買ひ取つたか知らないけど、あたしに云へば、掛合ひ方だつてあるわ……。(戯曲 冒頭部分より)
『おとうと』 Her Brother
幸田文 /Aya Koda
「ひどい哀しさなんかまだいいや、少し哀しいのがいつも滲みついちゃってるんだよ、おれに。癪に障らあ、しみったれてて。 」
<あらすじ>
げんと碧郎は、作家の父と義母の四人家族。姉のげんはリウマチで家事のできない母の代わりを一手に引き受けて、家庭を支える。貧しい暮らし、家族同士や人とのしがらみ、思うようにいかない現実の暮らしの中、碧郎は冤罪から悪い仲間とつきあい、さまざまな事件を起こす。義母への反抗、家庭不和。やりきれない様々な思いを抱える、思春期の碧郎を一心に思いやり、愛情をかけて身の回りの世話をするげん。やがて碧郎は重篤な結核を患い入院。げんは感染を恐れることもなくいっそう献身的に看病するのであった___。
<作品について>
明るく強情っぱりで弟思いのげん、不良でひねくれで姉思いの碧郎。寂しい家庭環境のなか、心かよわせる姉と弟の物語。美しく細やかな情景描写。家族同士それぞれの関係性と個々の心情、人と人との関わりの中に表立ちしない微妙なおもむきが、つややかな情感と飾らない語り口で描かれる。幸田文の私小説。
『人間失格』
~道化と狂気のモノロギスト~
2019.11.16 (Sat) アトリエ第Q藝術 1Fホール 15:00公演 詳細→https://www.otogatari.net/schedule
太宰 治
『自分は、しばらくしゃがんで、それから、よごれていない個所の雪を両手で掬い取って、顔を洗いながら泣きました。』
(作品から引用)
真実と虚実の谷間を彷徨う男一人。
虚ろな目に映るのは、過ぎ去っていく一切。
『人間失格 〜道化と狂気のモノロギスト〜』
・2019.11.16(土)アトリエ第Q藝術1Fホール(成城学園)公演フライヤーより・
東北の田舎の裕福な家庭に生まれ育った葉蔵。厳格な父の存在と使用人による性的虐待が、彼の心に初源的な無力感と対人恐怖を植え付ける。彼にとって人間環境は過酷であり、そこを生き抜く術として葉蔵は人々の気持ちを先読みし、道化を演じる事により『気に入られる』ように務める。それは彼の恐れと弱さを覆い隠し、人々の好意を得るためには十分であったが、人を欺き続ける罪悪感も同時に強く抱えることになる。成人した後も人間恐怖は心の中で肥大し続け、激しく彼を苛むものとなった。他者に対する恐れ、不信感、諦めは、葉蔵を優しく庇う女性達に対しても抱かれた。やがて全てに絶望した葉蔵は死を希求する。このような精神状態が続く中、アルコールと薬物への依存は悪化し、遂に彼の人格は荒廃した。しかし発狂の後、彼の心にやっと初めての凪が訪れる。
物語が進むにつれ、葉蔵が徐々にモラルから逸脱し人として堕落していくのは明らかだが、一つ一つのエピソードに於ける彼の行動は、人間の恐怖から自分を守ること、“阿鼻叫喚”の世界で何とか生き延びることが動機となっている。全ては生きるため。
本公演は問いに満ちている。葉蔵は過ちを犯したのではなく、ただ悲劇の中に投げ込まれ道化の仮面をかぶることでしか生きられなかったのではないだろうか?彼は本当に人間として失格だったのか?そして私達は果たして『人間合格』なのであろうか?
濹東綺譚 ~玉ノ井夜想 大江匡とお雪~
永井荷風
小説家・大江匡と玉ノ井の娼婦・お雪の切なくも美しい愛の物語。昭和初期の私娼街を舞台に、その出会いから別れを季節の移り変わりとともに描き出す、1951(昭和26)年に発行された、永井荷風の代表作品。
6月末のある夕方、大江は玉ノ井付近を散策する。急に振り出した大粒の雨、ひらいた傘に突然飛び込んできたひとりの女、お雪。侘しい場末の町、蚊のわめく溝際の家に住むお雪と大江は、なじみを重ね、たがいに情を深めてゆく。純朴なお雪の恋心。玉ノ井路地の迷宮を彷徨い歩く大江の複雑な心情とヴァイオリンのアルペジオが切なく交差する。季節は夏を過ぎ、やがて秋の深まる十五夜を向えるのだが、二人の行く末はいかに…。
雪解 Thaw
永井荷風
目に鮮やかに浮かぶ、大正期の人々の暮らし、街々の風景。再会した初老の父と娘の物語を、情緒豊かに描いた荷風短編小説。
「お照はそれにしても不人情なこの親爺にどういうわけで酒を飲ませてくれたのであろう。」
兼太郎は点滴の音に目をさました。そして油じみた坊主枕から半白の頭を擡げて不思議そうにちょっと耳を澄した。枕元に一間の出窓がある。その雨戸の割目から日の光が磨硝子の障子に幾筋も細く糸のようにさし込んでいる。兼太郎は雨だれの響は雨が降っているのではない。昨日午後から、夜も深けるに従ってますます烈しくなった吹雪が夜明と共にいつかガラリと晴れたのだという事を知った。(本文より)/ 永井荷風「雪解」
風邪ごこち
永井荷風
外では羅宇屋のピーピー、歯入屋の鼓の音… 道を行く物売りの声。三等煉瓦の貸長屋の二階。芸者の増吉は肺を患う。今日は熱が高く、それでも御座敷のために新粧を凝らす増吉。その描写がとても美しい。それを眺めている男。悲哀の影、死の予感と表裏ひとつに、増吉は情熱的に男に尽くし、御座敷へ出立ってゆく。
増吉はその裾を踵で踏まえながら、縫模様の半襟をかけた衣紋を正して、博多の伊達巻きを少しは胴のくびれるほどに堅く引き締めると、箱屋は直ちに裾模様の二枚重ねを取って、後ろから着せかけて置いて、女がその襟を合せている暇には、もう両膝をついて片手では長く敷く裾前を直してやり、片手では薦の上なる紋羽二重の長さは丸一反もあろうというしごきを、さっと捌いてその端を女の手に渡してやった。/ 永井荷風『新橋夜話』より「風邪ごこち 」
夜長姫と耳男
坂口安吾
「一心不乱に、オレのイノチを打ちこんだ仕事をやりとげればそれでいいのだ。」
耳男は兎のように長い耳を持つ20歳の青年で、飛騨随一と言われる匠の弟子である。アナマロに導かれ、師匠の代わりに夜長の里の長者のもとへ赴くが、それは名高い三人の匠に腕を競わせ、まだ13歳の夜長姫のために護身仏を彫らせるだった。
「好きな物は咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして・・・」
無邪気さと残酷さを併せ持つ長者の娘・夜長姫と耳男を中心に説話風に語られる、坂口安吾の傑作・幻想小説。
1952(昭和27)年初出。
桜の森の満開の下
坂口安吾
桜の森は、恐ろしい。満開の桜の木の下を通ったものは皆、気が狂うという。鈴鹿峠には山賊が棲み、山のすべてを我が物としていた。ある日、山賊はいつものように都からの旅人を襲って、身ぐるみ剥がして殺し、美しい女を家に連れ帰り、女房にした。わがままで冷酷な女。「美」という魔術。やがて都へ戻ると、女は男に命じて切り落とした都の人々の首で、遊び耽る。都の暮らしに馴染めない男はやがて、懐かしい山へ帰りたいと考えた。はらはらと舞いあふれる桜の花びら、夢にまでみた桜の森の満開の下、男の孤独が深まってゆき、やがて…。
山賊の男と、妖しく美しい残酷な女との幻想的な怪奇物語。坂口安吾の傑作短編小説。1947(昭和22)年5月15日初出。
港に着いた黒んぼ
小川未明